| ４ 「エレーナ、聞いてくれ。君はどう思ったかわからないが……」 「陛下……」 ──その翌日の夕暮れ。 大急ぎで診察をすませ、自室に戻ろうとしていた怜は、ドアの前ではっと足を止めた。中から話し声が聞こえる。 ──エレーナには私から話します。あなたは何もご心配なさらないで、どうか王宮にお帰りください……！── 昨日、怜は自分を気遣うアレクサンドルにそう言い、ともかく帰ってもらったのだった。ちょうど、国王を探し回っていた衛兵たちがここに駆けつけてきたのだ。ちなみにチョコレートとカードは忘れずに交換した。そしてその後、エレーナに、勤務が終わったら自室に来るよう頼んだのだ。 現場を見られてしまった以上、怜は言い訳せず、自分一人で本当のことを打ち明けるつもりだった。なのに、これ以上迷惑をかけたくなかったのに、どうしてアレクサンドルがここにいるのだろう。 「どうか聞いてほしい。私と怜は、愛し合っている。君も知ってのとおり、ほんの数ヶ月前まで、エリシアは本当に大変な状況だった。レイはその中で、命がけでずっと私を助けてくれたのだ。二人とも、これまで同性を愛したことなどなかったけれど、私は彼を心から愛しているし、全く後悔もしていない。そのことを伝えたくてまたここに来たのだ」 怜は目を見張り、頬を染めた。アレクサンドルの言葉はさらに続いた。 「それに……最初に好きになったのは、私だ。私は怜を一目見た瞬間、恋に落ちたのだから。だから、全ての責任は私にある。こうなったのは、レイのせいじゃない……！」 「……！」 そこまで聞いたとたん、はっとした。冗談ではない、何故そんなことを言うのだ、と思った怜は次の瞬間ドアを引き開け、中に飛び込んでいた。 「──違うっ……！」 「レイ！」 「シノハラ先生！」 向き合って立っていたアレクサンドルとエレーナが、ぎょっとしてこちらを見る。怜は二人に歩み寄ると、アレクサンドルを後ろにかばい、彼女に向き直った。 「エレーナ、違う。最初に好きになったのは俺だ！ 俺の方こそ、初めて会った時から、ずっと陛下に惹かれていた。だから、彼は何も悪くないっ……！」 最初から告げるつもりだったことをきっぱりと言う。とたん、アレクサンドルが怜の肩を掴み、前に身を乗り出した。 「何を言っているんだ！ 私は飛行機から降りる君を見た時から惹かれていたんだぞ！」 「あなたこそ何を言っているんです！ 俺が飛行機を降りる直前には、あなたはまだ俺の方を向いていらっしゃらなかったでしょう。先に惹かれたのは俺です。そのことはもう何度も言ったはずですよ！」 「それは理屈になってない！ その時好きになったかどうかは……」 「あの……」 その時、おずおずとエレーナが言葉を挟んだので、二人はようやく我に返った。彼女はこれまでぽかんとして彼らのやりとりを聞いていたのだ。 「お二人とも……すごく勘違いされていませんか。私、あの時はびっくりしただけで……。お二人が心から愛し合っていらっしゃるならそれは素晴らしいことだと思いますし、なんとなくそうじゃないかな、とか思っていたんです。もちろん、このことを誰かに言いふらすつもりも、全くないです」 「え……」 二人は呆然と顔を見合わせ、それから申し合わせたようにエレーナを見つめた。 怜と同じく、ついさっき今日の勤務を終えた彼女は、もう私服に着替えていた。コートのポケットから、空港で買ったチョコレートの包みが覗いている。 あれ、じゃあまだ誰にもプレゼントしていないのか、と怜が思った時、エレーナはさらに言葉を継いだ。顔だけでなく、耳から首まで真っ赤になっている。 「あの……実は私、相談に乗っていただきたくて……。これ、イヴァンにあげたら、迷惑でしょうか……？」 「イヴァンに!?」 思ってもいなかった名前を挙げられて、二人は同時に叫んでいた。 「ええ。私、ずっと彼のことが好きだったんです。私より年上なのに、やんちゃで子供みたいなところがあって……でもいつも、遊ぶ時は私を庇ってくれて。本当は去年、あの事件で彼が一番大変だった時に助けに来たかったのですけれど、出来なかったから……。だから、今回、研修医としてエリシアで勉強できると聞いた時は、本当に嬉しかったんです。でももう十年以上も会っていないし、彼は本当にかっこよくて素敵だから、絶対に誰か恋人がいるんだろうな、と思ったらどうしても打ち明けられなくて……」 「……」 怜は大急ぎで一週間前の会見の記憶を辿った。そういえばあの時、アレクサンドルの横には、確かにイヴァンが並んでいた。彼女はアレクサンドルではなく、その隣のイヴァンを見ていたのだ。それを、怜が思い違いしてしまったのである。 「今日、まずレイ先生から、そしてその後陛下からも、父を通してお声をかけていただいたから……。だから私、せっかくだから相談させていただこう、って思ったんです。お二人はイヴァンと仲良しみたいだし、こんなに真剣に愛し合っていらっしゃるなら、きっといいアドバイスをくださるのじゃないかな、って思って……。でも、やっぱり駄目でしょうか……？」 「あ、あのね、エレーナ。イヴァンはきっと……」 頬を染め、涙ぐんで必死に告げる彼女に、怜がそう言いかけた時、 「おい、レイ！ いるのか、エレーナは一緒か！」 ドンドンドン！ と、かなり手荒いノックの音とともに、イヴァンの声が響いた。 エレーナが弾かれたように振り向く。と、アレクサンドルが二人を庇うように進み出て、ドアを開けた。 「アレクサンドル！ なんであんたまで……」 せわしなく中に入ろうとしたイヴァンは、彼の姿を見て目を剥いた。ついで、瞳に涙をにじませているエレーナに気づき、カッとした様子でアレクサンドルにつかみかかった。 「おい、お前ら、二人してエレーナに何したんだっ！ さっきレイがエレーナと深刻そうに話していたから、なんだと思って来たらこんな……！」 アレクサンドルが、なんとも困ったような顔でその手を払おうとする。レイはあわてて二人を止めようとした。だがエレーナの方が早かった。イヴァンにすがりつくようにしてその身を離させる。とたん、イヴァンは真っ赤になった。 「やめて、イヴァン！ 違うの、私、お二人に相談に乗っていただきたいことがあっただけで……」 「へ、相談……？ だ、だってお前、泣いてるじゃないか、だからおれ、レイに何か叱られたのかと思って……」 ひどく心配そうにエレーナをのぞき込む。と、彼女も真っ赤になって首を振った。 「違う。……あの、イヴァン、もしかして心配してくれたの……？」 「え、あー、その……」 向かい合ったまま、ひたすらうろたえている二人を見て、アレクサンドルと怜は思わず顔を見合わせ、ため息をついた。何だか馬鹿馬鹿しくて仕方がなくなってきた。 「あの、俺はこれからちょっと外出するから。よかったら君たち、ここで色々話すといいよ」 怜は白衣を脱ぎながら言う。アレクサンドルもうなずき、怜のコートを取って着せかけてやった。二人は目配せし、足早に部屋を出ていこうとする。 「え!? ちょ、ちょっと待てよレイ、おれはそんな……」 慌てた様子でイヴァンが振り向く。それへ、怜はいたずらっぽくつけ加えた。 「イヴァン、君、最近になってまた、ずいぶん病院に出入りするようになったと思ったら……エレーナのことが心配だったんだね」 そして、返事は聞かずにドアを閉めた。 「──レイ、ひょっとして気づいていたのか？」 廊下を歩きながら、アレクサンドルが聞いてくる。怜は笑顔でうなずいた。 「ええ。イヴァンの方は。あの人、本当にわかりやすいですから……」 「そうか。ともかくこれで、ライバルが一人減ったな」 アレクサンドルは肩をすくめた。二人は顔を見合わせ、同時に笑い出した。 肩を並べて外に出る。とたん、ピンと張りつめたような冷気が、二人の身体を押し包んだ。街灯が、まだ厚く積もったままの雪を青白く映し出している。廊下と同じく、他に人影はなかった。エリシアでは二月の下旬は、まだ真冬である。 ふと、アレクサンドルは足を止めた。怜に向き直り、真剣な瞳で怜を見つめる。 「そういえば……レイ、まだ君にチョコレートの礼を言っていなかったな」 「え？ そんな、あんなものを贈ってしまって……なんだか後で、恥ずかしくなりました。それに、俺がぐずぐずしていたばかりに、色々ご迷惑までおかけしてしまったから……」 怜も足を止め、急いで言った。だがアレクサンドルは笑顔のまま、きっぱりと首を振る。 「そんなことはない。私たちの仲は、表沙汰にはまだ出来ないから……。だから、君がああいうふうに形にしてくれて……カードまで添えてくれたから、本当に嬉しかった。ありがとう」 「……！」 怜は頬を染めた。それは、自分が考えていたことと全く同じだったからだ。 昨日、アレクサンドルからもらったカードをもう何回も繰り返して読んだ。その度に彼の想いが伝わってくるようで、幸せな気持ちで一杯になった。だから今日、エレーナに、二人が本当に愛し合っていることを告げたかったのだ。 そう言いかけて、ふと怜は口をつぐんだ。かわりにアレクサンドルを見上げ、言う。 「愛しています。一生、あなただけです、アレック……」 「私もだ。愛している」 緑の瞳で怜を見つめ、すぐにアレクサンドルが応える。 二人は微笑みをかわし、それから同時に手を伸ばして抱き合った。唇が重なり合う。 空からまた、雪が降り出した。二人にとってこれからが、恋人たちの時間だった。 ＥＮＤ |